シャイニーガーデン 株式会社二光のホームページにご訪問いただきまして、ありがとうございます。
お庭づくりには、様々な出会いがあります。まず、お客様と私たちガーデンサロンとの出会いがあります。
また、お庭のデザインについて、お客様ご家族同士でも、真剣な話合いがもたれるようになると、今までとは違う家族の一面との出会いがあります。それらが繋がりあって、お客様ご家族だけの庭に出会います。
こうしてつくりあげられたお庭からは、ちょっと素敵な日常生活が始まります。
みんなで育て、成長した実を収穫し、それが食卓に並んだときの感動。
いつも締め切られていた窓がお庭に対して開け放たれ、機械に制御されない、自然の風を感じられる喜び。
花の香りや、樹木からこぼれ落ちる光の微妙な変化から、四季の移ろいを感じ取れる豊かさ。それらは、どれもほんの些細な出来事ですが、家族の日常生活を豊かに彩ってくれるアクセントとなります。
お庭づくり。それは、日常生活が楽しくなるきっかけづくりです。
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枇杷光二 プロフィール
ご挨拶

枇杷光二とは

枇杷光二(びわ こうじ) 家族を輝かせるコトNO.1 プロデューサー
昭和53年創業の先代の父(和光硝子アルミセンター)との協力の元、平成10年に「窓から見える風景」を念願に、ガーデンエクステリア「株式会社 二光 開設」の運びになりました。その後、女性デザイナーによるOnly One の庭づくりをコンセプトに
「SHINY GARDEN」が誕生し、今まで、さまざまなお庭のデザインと施工を手がけてきました。これも、多くのお客様が弊社を選んでくださったおかげです。
現在世間では、景気の先行不透明な状態が続いています。そんな中、私にできることは何か、自分の生き方を振り返ってみました。
昭和53年創業の先代の父(和光硝子アルミセンター)との協力の元、平成10年に「窓から見える風景」を念願に、ガーデンエクステリア「株式会社 二光 開設」の運びになりました。その後、女性デザイナーによるOnly One の庭づくりをコンセプトに
「SHINY GARDEN」が誕生し、今まで、さまざまなお庭のデザインと施工を手がけてきました。これも、多くのお客様が弊社を選んでくださったおかげです。
現在世間では、景気の先行不透明な状態が続いています。そんな中、私にできることは何か、自分の生き方を振り返ってみました。

20代、30代は必死に仕事に打ち込み、地域のボランティア活動や、現場に足を運んで色々な人生観を感じながら生きてきました。 そんな経験を積み重ねながら、自分の今後の生き方が少しずつ見えてきました。 困った人を助け、人に役立つ生き方、共に支え合う、共生の精神です。私の中で一番大切にしていることは、人への感謝の気持ちです。たくさんの方々に助けて いただき、成長することができました。まだ、未熟者でございますが、今後、仕事や地域で貢献できることがあるとすれば、それは、「人・地域・暮らしを輝か せること」だと思います。与えられた環境の中で精一杯に力を出し尽くすことで、今までお世話になった方や、地域を支えていきたいと思います。共に支え合い ながら、役に立てる生き方が私の理想です。 |
取得資格 | 1級硝子技能士 | アシスタントカラーコーディネーター |
---|---|---|
バルコニー施工技能士 | ガーデンコーディネーター | |
福祉住環境コーディネーター2級 | 2級ホームヘルパー | |
エクステリアプランナー | ガイドヘルパー | |
愛犬家住宅コーディネーター |
幼い頃の思い出
『仮面ライダーV3』の自転車を買ってもらった事
皆様、こんにちは。 先日昔のアルバムがたまたま
出てきたのですが、そこにはとても懐かしい1枚の
写真がありました。
4~5歳の時に父に買ってもらった仮面ライダーV3の
自転車に嬉しそうに乗る私の写真です。
当時父が商売を始めて間もない頃でした。
周りの友達は、私よりも早い段階で自転車に
乗って遊んでいたのですが、その時は余裕がなく、
なかなか買ってもらえなかった事を記憶しています。
『仮面ライダーV3』の自転車を買ってもらった事
皆様、こんにちは。 先日昔のアルバムがたまたま
出てきたのですが、そこにはとても懐かしい1枚の
写真がありました。
4~5歳の時に父に買ってもらった仮面ライダーV3の
自転車に嬉しそうに乗る私の写真です。
当時父が商売を始めて間もない頃でした。
周りの友達は、私よりも早い段階で自転車に
乗って遊んでいたのですが、その時は余裕がなく、
なかなか買ってもらえなかった事を記憶しています。
やっとの事で買ってもらったのが仮面ライダーV3のぴかぴかの自転車。
私は嬉しくて、見せびらかしながら乗っていました。....ところがです。私よりずいぶん前から
自転車に乗っていた友達は皆、私を見て全くうらやましそうではありません。 むしろ「あれ」が
付いていることで、バカにされていた感じがありました。
「あれ」というのは後ろタイヤに付いている『補助輪』です。
まだ自転車に乗り始めた私には周りの子がなんでそういうのか、なんで自分の自転車だけが
補助輪が付いているのかわからずに親に話したそうです。 すると父が「外して練習した方が
良いだろう」と補助輪を外してくれたのですが、今までと感覚が変わってしまい「これじゃ乗れん!」
と私は泣きました。 そこからは父が補助輪を付けては外しを繰り返しながら、私の練習に付き合って
くれて、やっと補助輪なしで乗れるようになったのです。
その時の懐かしい写真を見て淡い頃を思い出しました。
私は嬉しくて、見せびらかしながら乗っていました。....ところがです。私よりずいぶん前から
自転車に乗っていた友達は皆、私を見て全くうらやましそうではありません。 むしろ「あれ」が
付いていることで、バカにされていた感じがありました。
「あれ」というのは後ろタイヤに付いている『補助輪』です。
まだ自転車に乗り始めた私には周りの子がなんでそういうのか、なんで自分の自転車だけが
補助輪が付いているのかわからずに親に話したそうです。 すると父が「外して練習した方が
良いだろう」と補助輪を外してくれたのですが、今までと感覚が変わってしまい「これじゃ乗れん!」
と私は泣きました。 そこからは父が補助輪を付けては外しを繰り返しながら、私の練習に付き合って
くれて、やっと補助輪なしで乗れるようになったのです。
その時の懐かしい写真を見て淡い頃を思い出しました。


