皆さんこんにちは
シャイニーガーデンの枇杷です
先日25周年記念イベントを開催させていただいて無事終わりました
たくさんのお客様のご来店に感謝を申し上げます
今回パネル展示させていただいたんですけどご説明をしたいと思います
どのパネルから紹介していただきますか?
2022エクステリアと家族の幸せ部門でニコニコ大賞を受賞したんですけど
そこのですね
お客様もご来店いただいてピザ作りの体験教室をしました
この上のパネルですね
次はこの2番目のパネルになるんですけど
おかげさまでですね
25周年を迎えることができたんですけど
そこの歴史を振り返ってみてっていうパネルになってます
これがなかなか内容の濃いものになりますね
ここにですね緑の小屋があるんですけど
それがですねあの当時私が会社を創立した時に事務所として
ここを窓口としてですね一番に作った場所なんですよね
元々この家がスタートだったんですか?
何かちょっとちっちゃい感じがしますね
今現在がちょうど真ん中の木の木陰に隠れている
白い、あの家ですか?
そうですそうです
あそこが事務所だったんですよね
当時はですね
ここに僕らが結婚して間もない頃の家族でバーベキューをしたシーンなんですけど
当たり前ですけど二人とも若いですね
戻りたいですね過去に
ある時期ですね長女を授かることになって
妻がですね、入院を早くすることになって
その間に私がですね
ここにトレーラーハウスの写真があると思うんですけど
これを買って第2の住まいにしようかなと思いだしてですね
トレーラーハウスを妻が入院中に買ってきて
見事にですね
ここビワハウスが建ってるんですけど
そこに設置したんですよね
場所としてはあのあたりですね
ここの土地は元々持ってた?
元々はですね
ちょうどこちらが展示場で、こちら側が資材置き場として活用していました
今じゃ全然考えられないですね
トレーラーハウスを買って?
とりあえず新婚生活をそこでエンジョイさせていただいて
トレーラーハウスで新婚生活?
長女も生まれてですね、そこで二人で生活を始めて
僕の構想の中にですね、そこに住みながら今真向かいに建っているログハウスですね
それを自分達で建てたいなっていう計画があって
将来的にはそこを住まいにして活用したいなっていう計画が僕の中にありまして
色々と話がすごいんですけど、家族の反対とかなかったんですか?
当然ですね、妻のお母様は
何ていうところにね、子供が産まれて早々住ませるとね
あんたはつって怒られて
すいませんって謝ったんですけど
その次の計画がですね
あのログハウスを建てるっていう計画を全く両親に話してなくて
こんな重大なことを親に話さんであなたは何考えてるのねって怒られて
ずっと怒られっぱなしで進んでいったんですけど
これは僕が決めた夢でもあるので
絶対誰が何と言おうが達成するっていう強い思いがあってですね
もうなんか勢いでガーンと行っちゃったっていう感じですね
若さもありますよね
今実際それができるかとなるとまた考え深いところもあるんだけど
その時の勢いがあって今があるっていうストーリーがありまして
一筋縄じゃ建たなかったんじゃないですか?
あのログハウスはここにもドラマがあってですね
実はですねトレーラーハウスに住みながらぼちぼち建てようっていう計画だったんですけど
そのトレーラーハウスがですね、雨漏りしちゃって
もうこれはもうここに住めなくなるよねとなってじゃあもう今すぐ
ログハウスを見に行こうと言って八女村というところにですね
実際ログハウスを見に行って体験してきてですね
即、これで決めようという流れになって、材料を購入しましたね
トレーラーハウスが雨漏りして普通だったらログハウス諦めようってなると思うんですけど
本当に夢だったんですね
これはもう僕はチャンスと思ったんですよね
いち早く自分の夢を実現するための神様が
僕の心を読み取っていただいたというか
このチャンスはもう絶対やるべきだと思って動きましたね
実際にここまでになる間も色々な苦難があったんですか
実際独立して間もない時期でもあったので
ぼちぼち建てようが一体いつなったら完成すると?というのと
本業の仕事を犠牲にしないといけないっていう
身体一つしかないのでそういった状況におかれまして
とりあえずもう早く住めるようにしないと
実家のお母さん達にも怒られてるし
子供もかわいそうじゃないっていう思いが芽生えてきてですね
外周りだけでもパパッと当時、私サッシ屋をしてましたので
工務店さんに協力していただいてですね
外回りがまず形ができてきました
視聴者の方も社長ってそんな人だったんだって多分びっくりされると思うんですよね
そこからここに住み出しました
長女がですね成長するにあたって
やはりログハウスっていうのは見せる収納っていうのが主流になってまして
なんとなく生活する上で少し不便を感じてきたり
私が重労働な仕事をしてた時期でもあったので
ちょこっとそこでゴロっとしてたらですね
お客様が見えられて昼休んでいる姿を見られたりですね
落ち着かないなっていうのをちょっと感じ出して
次の計画ですね
ビワハウスを建てたいっていう流れに前進していったっていうのが
ログハウス建てるだけでも大変なのにまた家を1件建てるっていう
物事をやはり達成していこうと思った時に庭づくりもそうなんですけど
悩んで考えててもなかなか前に進まないっていうのがあるので
一回作ってみようっていう思いから皆さん始まっていってですね
作って良かったっていう、現在・過去・未来ですね
一つの線で繋がっていくっていうのを自分自身が実感しましたので
お客様にまず伝えていきたいなと
新築されてその次にお庭を作って家庭生活の場所ができて
そこで家族のコミュニケーションをして家族と共に成長していくっていう
流れができるのかなというのを実感しましたので
自分が体験したことをどんどん情報発信していってですね
少しでもこれからお庭作りをしたいってお考えのお客様にですね
私の想いとか声がですねYOUTUBEを通して届いたらいいかなと思っています
元々サッシ屋だったわけじゃないですか
これには15年前って書いてあるんですけど
ガーデンデザインに特化してシャイニーガーデンにって書いてるんですけど
デザインに特化するまでのきっかけとかどんな感じだったんですか?
もともと私は父の跡取りをしようと思ってサッシガラス屋を修行していました
その中の一環にですねアルミエクステリアっていうカテゴリーがありまして
そこで職人としてですね勉強させていただいて
独立するきっかけはですね、アルミエクステリアの職人になって
それを強化していきたいっていう思いがありまして
その延長線上にガーデンデザインに特化したシャイニーガーデンっていう流れにはなっていったんですけど
アルミエクステリアが得意な職人が作る女性の感性を生かした庭づくりっていうのが
このガーデンデザインに特化したシャイニーガーデンっていう形でまず創立しました
ってことは特化してからココマも建てたんですか
それと同時に元々私がそういうアルミの構造物が得意だったので
そこと融合させてココマを設置させていただきました
ログハウスの前にあるココマっていうのは15年たっているんですか?
15年経ってますね
普通にきれいですよね
そのやっぱこう特化したのが良かったですよね、今があると
これもですね凄く周りに反対されまして
夢を追いかけるっていうのは
自分の思いを貫かないと何一つたぶん形にはならないと思うんですよね
反対されようが何て言われようがですね
自分が決めたことはやるっていうのが僕のモットーでここまで進んでまいりました
それが今やこんなにたくさんの元々こんなにたくさん受賞できるとは
イメージできてなかったんじゃないですか
いや全くイメージできてませんでしたね
もう本当にお客様にお庭ってすごく素晴らしいんだよって
お庭を作ることによってですね生活スタイルが変わるんですよっていうのを伝えていってですね
そういう中で私共の思いに共感していただいたお客様の庭づくりをさせていただいてですね
こういった形でニコニコ大賞も3回受賞することもできましたし
LIXILさんのエクステリアコンテストでですね
14年連続全国賞を受賞させていただいています
この25年の歴史すごい波乱万丈で1からこの形がすんなりいったというのは
まずあり得ないと思うんですよね
そういう中でやはりいろいろ試行錯誤しながら悩んだ時期もありましたし
考えさせられた時期もあったし
過去を振り返るとですねきつかった時期もありましたけど
これも全部材料なんですよね
お客様に僕の想いをお伝えするための材料だったのかなって良い方に捉えて前進しています
今まで25年間波乱万丈だった訳ですけど
これからシャイニーガーデンはどういう風にしていきたいかそこをちょっと聞いてみたい
今後はですねやはりこういった素敵な場所をお客様によってですね作らせていただけましたので
この場所をですねやはり地域の皆様に活用していただいてですね
地域がより庭づくりを通してどんどん活性化するような流れと
今後の未来としましてはですね
次の世代を担う若者達にですね
庭作りの素晴らしさとかガーデンエクステリアの素晴らしさ
ここ宗像にですね更に素敵な街に変わっていくような
お手伝いが庭づくりを通してできたらいいかなと思っています
ありがとうございます
これからも頑張ってください
よろしくお願いします
ありがとうございます
今日は25年の歴史について教えていただきありがとうございます
話聞いていると何か社長って見た目すごいおっとりしてるじゃないですか
想像するような人には到底見えないんですけど
何でそんなに破天荒な生き方をするようになったのか教えてほしいですね
私すごい野球少年で甲子園に行って活躍したいなっていう夢があったんですよね
高校2年生の夏に推薦特待で野球の名門校に入ったんですけど
そこで練習中に倒れてしまって
救急車で病院に運ばれたんですよね
病院に運ばれて処置をしていただいてたんですけど
どんどん様態が悪化していって、意識がもうなくなってしまって
4日間ですね意識不明の重体で医者からは今日が山場です
覚悟を決めとってくださいとまで言われて大騒ぎになってたらしいです
僕はそのことはもう何一つ覚えてないんですけど
そういう状況の中で死んでいてもおかしくなかった状況で
今こういった形で力強く生きていけているというのは
何ものにも代えがたい感謝の気持ちと
どうせ生かされた命なら誰かのお役に立ちたいとかそういった気持ちに変わってきたんですよね
そう考えたら確かにさっきの破天荒な生き方も納得できるっていうか
僕思ったんですよね
たった一度の人生じゃないですか
その一度の人生をですね
どう生かしていくかっていうのをですね
そういった体験を通じて経験させていただいて
実際意識がない時も心の声みたいなのが聞こえて
まだ僕は必要だったのかなと
必要な存在だったからこの命が生かされているんだなというのを強く感じ始めまして
何か人のためとか世の中のためとか
そういったものに貢献したいなって思い始めました
1年以上YOUTUBE密着してて
ここまでするんだってくらいお客様にサービスされているのを見てそれも納得できますね
全力でお客様に対してお仕事をしているからこそ
ああいう後ろのですねいろんな賞を受賞されてると思いますね
ありがとうございます
これからもやっぱり全力で僕のモットーは全力少年で
全力中年じゃなくて全力少年の思いで突き進んでいこうと思ってますので
今後とも皆さんシャイニーガーデンの代表の枇杷と
シャイニーガーデンの方のご支援をよろしくお願いします