小学校3年生から野球を始めて、以後、寝ても覚めても野球漬けの日々。リトルリーグ時代にはリーグ優勝し韓国まで遠征に行ったこともあります。もちろん中学でも野球部、野球特待で入学した高校では寮にも入り、甲子園を目指し、日々練習に励みました。
それはいつも通り猛練習に耐えていた高校2年の夏、思いもかけない事件がおこりまし た。当時の野球部の練習風景といえば、「水は飲むな」「走れ」「我慢!我慢!」の「巨人の星」さながら。仲間たちが監督の目を盗んでトイレの水を飲んだり 自己防衛をしてる中、この頃から要領があまり良くなかった私は、監督の言いつけどおり、水分も取らず必死で練習をしていました。昨今では考えられません が・・バットで殴る、蹴るの猛烈なシゴキにも耐えていましたが、もちろん当時はそれが当たり前でした。
そしてある日、練習中に突然意識を失い倒れたのです。脱水症からきたのだと思われま すが、悪いウイルスが脳に入りこみ、炎症を起こしました。脳炎の一種です。4日間、死の淵をさまよいました。この時の記憶は全くありません。家族は医師か ら「今夜がヤマです」「覚悟してください」と告げられていたそうです。奇跡的に一命を取りとめ、意識が戻り、両親・友人・監督・先生、皆が安堵の表情を浮 かべてくれたのは覚えています。
この日を境に、大好きな野球が出来なくなり、「なんで自分だけがこんな目に遭うのだろ う?」「一生懸命やってきただけなのに」自問自答の日々が続きました。それでも少しずつ体が回復していって、リハビリをし、練習に戻ってみようという状態 まで回復できたのが3年生の春先でした。しかし、努力はしてみたものの、半年間のブランクと倒れた時のトラウマが重なり思うように体が動きません。「野球 を続けていく自信がない」と初めて弱音を吐きました。
その時、悩みを打ち明けた担任の先生に「辞めたあとはどうするんだ?」ときかれまし た。「辞めたら勉強を一生懸命にします」と言いました。監督には野球が好きならマネージャーでもいいか続ける方法はあるんだと教えて頂きましたが、1週間 悩んだ末、心配する両親や色んなことを考え、 9 年間の野球生活にピリオドを打つことを決めました。
3年生の5月以降は就職活動も視野に入れながら勉強に打ち込みました。野球で生きてきた僕にとって勉強にはかなりの努力が必要でしたが、とにかく頑張りました。その甲斐があって、クラスで1位2位を争うところまで成績 UP でき、野球は途中で挫折したけど
勉強のほうで学校推薦がもらえるようになりました。クラスメイトと頑張って完全皆勤賞
も取りました。(1年間、クラスの誰ひとり休んだり・遅刻・早退をしないこと)。先生との約束を守れた達成感や、仲間と助け合う気持ちや励まし頑張りあう
こと。一緒に頑張ったクラスメイトや、今でも自分を認めてくれ励ましてくれる野球部の大切な仲間たち。
波乱万丈あったけど、かけがえのない青春時代が送れました。
卒業の時、担任の先生から、「お前は商売人の子だから、あらゆる可能性にかけてみろ」との言葉をいただきました。色んな体験と気づき、チャレンジ精神をくれたこの学生時代の色んな出会いにただただ感謝です。
最後にもうひとつ先生がかけてくれたことば「継続は力なり」。いまでも心に刻み日々、頑張っています。